2008年11月11日火曜日

二十二

 家の敷居を跨《また》いだ宗助《そうすけ》は、己《おの》れにさえ憫然《びんぜん》な姿を描《えが》いた。彼は過去十日間毎朝頭を冷水《れいすい》で濡《ぬ》らしたなり、いまだかつて櫛《くし》の歯を通した事がなかった。髭《ひげ》は固《もと》より剃《そ》る暇《いとま》を有《も》たなかった。三度とも宜道《ぎどう》の好意で白米の炊《かし》いだのを食べたには食べたが、副食物と云っては、菜の煮たのか、大根の煮たのぐらいなものであった。彼の顔は自《おのず》から蒼《あお》かった。出る前よりも多少|面窶《おもやつ》れていた。その上彼は一窓庵で考えつづけに考えた習慣がまだ全く抜け切らなかった。どこかに卵を抱《いだ》く牝鶏《めんどり》のような心持が残って、頭が平生の通り自由に働らかなかった。その癖《くせ》一方では坂井の事が気にかかった。坂井と云うよりも、坂井のいわゆる冒険者《アドヴェンチュアラー》として宗助の耳に響いたその弟《おとと》と、その弟の友達として彼の胸を騒がした安井の消息が気にかかった。けれども彼は自身に家主の宅へ出向いて、それを聞き糺《ただ》す勇気を有たなかった。間接にそれを御米《およね》に問うことはなおできなかった。彼は山にいる間さえ、御米がこの事件について何事も耳にしてくれなければいいがと気遣《きづか》わない日はなかったくらいである。宗助は年来住み慣れた家の座敷に坐って、
「汽車に乗ると短かい道中でも気のせいか疲れるね。留守中に別段変った事はなかったかい」と聞いた。実際彼は短かい汽車旅行にさえ堪《た》えかねる顔つきをしていた。
 御米はいかな場合にも夫の前に忘れなかった笑顔さえ作り得なかった。と云って、せっかく保養に行った転地先から今帰って来たばかりの夫に、行かない前よりかえって健康が悪くなったらしいとは、気の毒で露骨に話し悪《にく》かった。わざと活溌《かっぱつ》に、
「いくら保養でも、家《うち》へ帰ると、少しは気疲《きづかれ》が出るものよ。けれどもあなたは余《あん》まり爺々汚《じじむさ》いわ。後生《ごしょう》だから一休《ひとやすみ》したら御湯に行って頭を刈って髭《ひげ》を剃《す》って来てちょうだい」と云いながら、わざわざ机の引出から小さな鏡を出して見せた。
 宗助は御米の言葉を聞いて、始めて一窓庵の空気を風で払ったような心持がした。一たび山を出て家へ帰ればやはり元の宗助であった。
「坂井さんからはその後何とも云って来ないかい」
「いいえ何とも」
「小六《ころく》の事も」
「いいえ」
 その小六は図書館へ行って留守だった。宗助は手拭《てぬぐい》と石鹸《シャボン》を持って外へ出た。
 明る日役所へ出ると、みんなから病気はどうだと聞かれた。中には少し瘠《や》せたようですねと云うものもあった。宗助にはそれが無意識の冷評の意味に聞えた。菜根譚《さいこんたん》を読む男はただどうです旨《うま》く行きましたかと尋ねた。宗助はこの問にもだいぶ痛い思をした。
 その晩はまた御米と小六から代る代る鎌倉の事を根掘り葉掘り問われた。
「気楽でしょうね。留守居《るすい》も何もおかないで出られたら」と御米が云った。
「それで一日《いちんち》いくら出すと置いてくれるんです」と小六が聞いた。「鉄砲でも担《かつ》いで行って、猟《りょう》でもしたら面白かろう」とも云った。
「しかし退屈ね。そんなに淋《さむ》しくっちゃ。朝から晩まで寝ていらっしゃる訳にも行かないでしょう」と御米がまた云った。
「もう少し滋養物が食える所でなくっちゃあ、やっぱり身体《からだ》によくないでしょう」と小六がまた云った。
 宗助はその夜床の中へ入って、明日《あした》こそ思い切って、坂井へ行って安井の消息をそれとなく聞き糺《ただ》して、もし彼がまだ東京にいて、なおしばしば坂井と往復があるようなら、遠くの方へ引越してしまおうと考えた。
 次の日は平凡に宗助の頭を照らして、事なき光を西に落した。夜《よ》に入《い》って彼は、
「ちょっと坂井さんまで行って来る」と云い捨てて門を出た。月のない坂を上って、瓦斯灯《ガスとう》に照らされた砂利を鳴らしながら潜戸《くぐりど》を開けた時、彼は今夜ここで安井に落ち合うような万一はまず起らないだろうと度胸を据《す》えた。それでもわざと勝手口へ回って、御客来ですかと聞くことは忘れなかった。
「よくおいでです。どうも相変らず寒いじゃありませんか」と云う常の通り元気の好い主人を見ると、子供を大勢自分の前へ並べて、その中《うち》の一人と掛声をかけながら、じゃん拳《けん》をやっていた。相手の女の子の年は、六つばかりに見えた。赤い幅のあるリボンを蝶々《ちょうちょう》のように頭の上にくっつけて、主人に負けないほどの勢で、小さな手を握り固めてさっと前へ出した。その断然たる様子と、その握《にぎ》り拳《こぶし》の小ささと、これに反して主人の仰山《ぎょうさん》らしく大きな拳骨《げんこつ》が、対照になって皆《みんな》の笑を惹《ひ》いた。火鉢《ひばち》の傍《はた》に見ていた細君は、
「そら今度《こんだ》こそ雪子の勝だ」と云って愉快そうに綺麗《きれい》な歯を露《あら》わした。子供の膝《ひざ》の傍《そば》には白だの赤だの藍《あい》だのの硝子玉《ガラスだま》がたくさんあった。主人は、
「とうとう雪子に負けた」と席を外《はず》して、宗助の方を向いたが、「どうですまた洞窟《とうくつ》へでも引き込みますかな」と云って立ち上がった。
 書斎の柱には、例のごとく錦の袋に入れた蒙古刀《もうことう》が振《ぶ》ら下《さ》がっていた。花活《はないけ》にはどこで咲いたか、もう黄色い菜の花が挿《さ》してあった。宗助は床柱の中途を華《はな》やかに彩《いろ》どる袋に眼を着けて、
「相変らず掛かっておりますな」と云った。そうして主人の気色《けしき》を頭の奥から窺《うかが》った。主人は、
「ええちと物数奇《ものずき》過ぎますね、蒙古刀は」と答えた。「ところが弟《おとと》の野郎そんな玩具《おもちゃ》を持って来ては、兄貴を籠絡《ろうらく》するつもりだから困りものじゃありませんか」
「御舎弟《ごしゃてい》はその後どうなさいました」と宗助は何気ない風を示した。
「ええようやく四五日前帰りました。ありゃ全く蒙古向ですね。御前のような夷狄《いてき》は東京にゃ調和しないから早く帰れったら、私《わたし》もそう思うって帰って行きました。どうしても、ありゃ万里の長城の向側《むこうがわ》にいるべき人物ですよ。そうしてゴビの沙漠《さばく》の中で金剛石《ダイヤモンド》でも捜していればいいんです」
「もう一人の御伴侶《おつれ》は」
「安井ですか、あれも無論いっしょです。ああなると落ちついちゃいられないと見えますね。何でも元は京都大学にいたこともあるんだとか云う話ですが。どうして、ああ変化したものですかね」
 宗助は腋《わき》の下から汗が出た。安井がどう変って、どう落ちつかないのか、全く聞く気にはならなかった。ただ自分が主人に安井と同じ大学にいた事を、まだ洩《も》らさなかったのを天祐《てんゆう》のようにありがたく思った。けれども主人はその弟と安井とを晩餐《ばんさん》に呼ぶとき、自分をこの二人に紹介しようと申し出た男である。辞退をしてその席へ顔を出す不面目だけはやっと免《まぬ》かれたようなものの、その晩主人が何かの機会《はずみ》につい自分の名を二人に洩《も》らさないとは限らなかった。宗助は後暗《うしろぐら》い人の、変名《へんみょう》を用いて世を渡る便利を切に感じた。彼は主人に向って、「あなたはもしや私の名を安井の前で口にしやしませんか」と聞いて見たくて堪《たま》らなかった。けれども、それだけはどうしても聞けなかった。
 下女が平たい大きな菓子皿に妙な菓子を盛って出た。一丁の豆腐ぐらいな大きさの金玉糖《きんぎょくとう》の中に、金魚が二疋|透《す》いて見えるのを、そのまま庖丁《ほうちょう》の刃を入れて、元の形を崩《くず》さずに、皿に移したものであった。宗助は一目見て、ただ珍らしいと感じた。けれども彼の頭はむしろ他の方面に気を奪われていた。すると主人が、
「どうです一つ」と例《いつも》の通りまず自分から手を出した。
「これはね、昨日《きのう》ある人の銀婚式に呼ばれて、貰《もら》って来たのだから、すこぶるおめでたいのです。あなたも一切ぐらい肖《あやか》ってもいいでしょう」
 主人は肖りたい名の下《もと》に、甘垂《あまた》るい金玉糖《きんぎょくとう》を幾切か頬張《ほおば》った。これは酒も呑み、茶も呑み、飯も菓子も食えるようにできた、重宝で健康な男であった。
「何実を云うと、二十年も三十年も夫婦が皺《しわ》だらけになって生きていたって、別におめでたくもありませんが、そこが物は比較的なところでね。私はいつか清水谷の公園の前を通って驚ろいた事がある」と変な方面へ話を持って行った。こういう風に、それからそれへと客を飽《あ》かせないように引張って行くのが、社交になれた主人の平生の調子であった。
 彼の云うところによると、清水谷から弁慶橋へ通じる泥溝《どぶ》のような細い流の中に、春先になると無数の蛙《かえる》が生れるのだそうである。その蛙が押し合い鳴き合って生長するうちに、幾百組か幾千組の恋が泥渠《どぶ》の中で成立する。そうしてそれらの愛に生きるものが重ならないばかりに隙間《すきま》なく清水谷から弁慶橋へ続いて、互に睦《むつ》まじく浮いていると、通り掛りの小僧だの閑人《ひまじん》が、石を打ちつけて、無残にも蛙の夫婦を殺して行くものだから、その数がほとんど勘定《かんじょう》し切れないほど多くなるのだそうである。
「死屍累々《ししるいるい》とはあの事ですね。それが皆《みんな》夫婦なんだから実際気の毒ですよ。つまりあすこを二三丁通るうちに、我々は悲劇にいくつ出逢うか分らないんです。それを考えると御互は実に幸福でさあ。夫婦になってるのが悪《にく》らしいって、石で頭を破《わ》られる恐れは、まあ無いですからね。しかも双方ともに二十年も三十年も安全なら、全くおめでたいに違ありませんよ。だから一切ぐらい肖っておく必要もあるでしょう」と云って、主人はわざと箸《はし》で金玉糖を挟《はさ》んで、宗助の前に出した。宗助は苦笑しながら、それを受けた。
 こんな冗談交《じょうだんまじ》りの話を、主人はいくらでも続けるので、宗助はやむを得ず或る辺までは釣られて行った。けれども腹の中はけっして主人のように太平楽《たいへいらく》には行かなかった。辞して表へ出て、また月のない空を眺《なが》めた時は、その深く黒い色の下に、何とも知れない一種の悲哀と物凄《ものすご》さを感じた。
 彼は坂井の家に、ただいやしくも免《まぬ》かれんとする料簡《りょうけん》で行った。そうして、その目的を達するために、恥と不愉快を忍んで、好意と真率《しんそつ》の気に充《み》ちた主人に対して、政略的に談話を駆《か》った。しかも知ろうと思う事はことごとく知る事ができなかった。己《おの》れの弱点に付いては、一言《ひとこと》も彼の前に自白するの勇気も必要も認めなかった。
 彼の頭を掠《かす》めんとした雨雲《あまぐも》は、辛《かろ》うじて、頭に触れずに過ぎたらしかった。けれども、これに似た不安はこれから先何度でも、いろいろな程度において、繰り返さなければすまないような虫の知らせがどこかにあった。それを繰り返させるのは天の事であった。それを逃げて回るのは宗助の事であった。

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