2008年11月18日火曜日

 宗助《そうすけ》と小六《ころく》が手拭《てぬぐい》を下げて、風呂《ふろ》から帰って来た時は、座敷の真中に真四角な食卓を据《す》えて、御米《およね》の手料理が手際《てぎわ》よくその上に並べてあった。手焙《てあぶり》の火も出がけよりは濃い色に燃えていた。洋灯《ランプ》も明るかった。
 宗助が机の前の座蒲団《ざぶとん》を引き寄せて、その上に楽々《らくらく》と胡坐《あぐら》を掻《か》いた時、手拭と石鹸《シャボン》を受取った御米は、
「好い御湯だった事?」と聞いた。宗助はただ一言《ひとこと》、
「うん」と答えただけであったが、その様子は素気《そっけ》ないと云うよりも、むしろ湯上りで、精神が弛緩《しかん》した気味に見えた。
「なかなか好い湯でした」と小六が御米の方を見て調子を合せた。
「しかしああ込んじゃ溜《たま》らないよ」と宗助が机の端《はじ》へ肱《ひじ》を持たせながら、倦怠《けた》るそうに云った。宗助が風呂に行くのは、いつでも役所が退《ひ》けて、家《うち》へ帰ってからの事だから、ちょうど人の立て込む夕食前《ゆうめしまえ》の黄昏《たそがれ》である。彼はこの二三カ月間ついぞ、日の光に透《す》かして湯の色を眺《なが》めた事がない。それならまだしもだが、ややともすると三日も四日もまるで銭湯の敷居を跨《また》がずに過してしまう。日曜になったら、朝早く起きて何よりも第一に奇麗《きれい》な湯に首だけ浸《つか》ってみようと、常は考えているが、さてその日曜が来て見ると、たまに悠《ゆっ》くり寝られるのは、今日ばかりじゃないかと云う気になって、つい床のうちでぐずぐずしているうちに、時間が遠慮なく過ぎて、ええ面倒だ、今日はやめにして、その代り今度《こんだ》の日曜に行こうと思い直すのが、ほとんど惰性のようになっている。
「どうかして、朝湯にだけは行きたいね」と宗助が云った。
「その癖朝湯に行ける日は、きっと寝坊《ねぼう》なさるのね」と細君は調戯《からか》うような口調であった。小六は腹の中でこれが兄の性来《うまれつき》の弱点であると思い込んでいた。彼は自分で学校生活をしているにもかかわらず、兄の日曜が、いかに兄にとって貴《たっ》といかを会得《えとく》できなかった。六日間の暗い精神作用を、ただこの一日で暖かに回復すべく、兄は多くの希望を二十四時間のうちに投げ込んでいる。だからやりたい事があり過ぎて、十の二三も実行できない。否、その二三にしろ進んで実行にかかると、かえってそのために費やす時間の方が惜しくなって来て、ついまた手を引込めて、じっとしているうちに日曜はいつか暮れてしまうのである。自分の気晴しや保養や、娯楽もしくは好尚《こうしょう》についてですら、かように節倹しなければならない境遇にある宗助が、小六のために尽さないのは、尽さないのではない、頭に尽す余裕《よゆう》のないのだとは、小六から見ると、どうしても受取れなかった。兄はただ手前勝手な男で、暇があればぶらぶらして細君と遊んでばかりいて、いっこう頼りにも力にもなってくれない、真底は情合《じょうあい》に薄い人だぐらいに考えていた。
 けれども、小六がそう感じ出したのは、つい近頃の事で、実を云うと、佐伯との交渉が始まって以来の話である。年の若いだけ、すべてに性急な小六は、兄に頼めば今日明日《きょうあす》にも方《かた》がつくものと、思い込んでいたのに、何日《いつ》までも埒《らち》が明かないのみか、まだ先方へ出かけてもくれないので、だいぶ不平になったのである。
 ところが今日帰りを待ち受けて逢《あ》って見ると、そこが兄弟で、別に御世辞も使わないうちに、どこか暖味《あたたかみ》のある仕打も見えるので、つい云いたい事も後廻しにして、いっしょに湯になんぞ這入《はい》って、穏やかに打ち解けて話せるようになって来た。
 兄弟は寛《くつ》ろいで膳《ぜん》についた。御米も遠慮なく食卓の一隅《ひとすみ》を領《りょう》した。宗助も小六も猪口《ちょく》を二三杯ずつ干した。飯にかかる前に、宗助は笑いながら、
「うん、面白いものが有ったっけ」と云いながら、袂《たもと》から買って来た護謨風船《ゴムふうせん》の達磨《だるま》を出して、大きく膨《ふく》らませて見せた。そうして、それを椀《わん》の葢《ふた》の上へ載《の》せて、その特色を説明して聞かせた。御米も小六も面白がって、ふわふわした玉を見ていた。しまいに小六が、ふうっと吹いたら達磨は膳《ぜん》の上から畳の上へ落ちた。それでも、まだ覆《かえ》らなかった。
「それ御覧」と宗助が云った。
 御米は女だけに声を出して笑ったが、御櫃《おはち》の葢《ふた》を開けて、夫の飯を盛《よそ》いながら、
「兄さんも随分|呑気《のんき》ね」と小六の方を向いて、半ば夫を弁護するように云った。宗助は細君から茶碗を受取って、一言《ひとこと》の弁解もなく食事を始めた。小六も正式に箸《はし》を取り上げた。
 達磨はそれぎり話題に上《のぼ》らなかったが、これが緒《いとくち》になって、三人は飯の済むまで無邪気に長閑《のどか》な話をつづけた。しまいに小六が気を換えて、
「時に伊藤さんもとんだ事になりましたね」と云い出した。宗助は五六日前伊藤公暗殺の号外を見たとき、御米の働いている台所へ出て来て、「おい大変だ、伊藤さんが殺された」と云って、手に持った号外を御米のエプロンの上に乗せたなり書斎へ這入《はい》ったが、その語気からいうと、むしろ落ちついたものであった。
「あなた大変だって云う癖に、ちっとも大変らしい声じゃなくってよ」と御米が後《あと》から冗談《じょうだん》半分にわざわざ注意したくらいである。その後日ごとの新聞に伊藤公の事が五六段ずつ出ない事はないが、宗助はそれに目を通しているんだか、いないんだか分らないほど、暗殺事件については平気に見えた。夜帰って来て、御米が飯の御給仕をするときなどに、「今日も伊藤さんの事が何か出ていて」と聞く事があるが、その時には「うんだいぶ出ている」と答えるぐらいだから、夫の隠袋《かくし》の中に畳んである今朝の読殻《よみがら》を、後《あと》から出して読んで見ないと、その日の記事は分らなかった。御米もつまりは夫が帰宅後の会話の材料として、伊藤公を引合に出すぐらいのところだから、宗助が進まない方向へは、たって話を引張りたくはなかった。それでこの二人の間には、号外発行の当日以後、今夜小六がそれを云い出したまでは、公《おおや》けには天下を動かしつつある問題も、格別の興味をもって迎えられていなかったのである。
「どうして、まあ殺されたんでしょう」と御米は号外を見たとき、宗助に聞いたと同じ事をまた小六に向って聞いた。
「短銃《ピストル》をポンポン連発したのが命中《めいちゅう》したんです」と小六は正直に答えた。
「だけどさ。どうして、まあ殺されたんでしょう」
 小六は要領を得ないような顔をしている。宗助は落ちついた調子で、
「やっぱり運命だなあ」と云って、茶碗の茶を旨《うま》そうに飲んだ。御米はこれでも納得《なっとく》ができなかったと見えて、
「どうしてまた満洲《まんしゅう》などへ行ったんでしょう」と聞いた。
「本当にな」と宗助は腹が張って充分物足りた様子であった。
「何でも露西亜《ロシア》に秘密な用があったんだそうです」と小六が真面目《まじめ》な顔をして云った。御米は、
「そう。でも厭《いや》ねえ。殺されちゃ」と云った。
「おれみたような腰弁《こしべん》は、殺されちゃ厭だが、伊藤さんみたような人は、哈爾賓《ハルピン》へ行って殺される方がいいんだよ」と宗助が始めて調子づいた口を利《き》いた。
「あら、なぜ」
「なぜって伊藤さんは殺されたから、歴史的に偉い人になれるのさ。ただ死んで御覧、こうはいかないよ」
「なるほどそんなものかも知れないな」と小六は少し感服したようだったが、やがて、
「とにかく満洲だの、哈爾賓だのって物騒な所ですね。僕は何だか危険なような心持がしてならない」と云った。
「そりゃ、色んな人が落ち合ってるからね」
 この時御米は妙な顔をして、こう答えた夫の顔を見た。宗助もそれに気がついたらしく、
「さあ、もう御膳《おぜん》を下げたら好かろう」と細君を促《うな》がして、先刻《さっき》の達磨《だるま》をまた畳の上から取って、人指指《ひとさしゆび》の先へ載《の》せながら、
「どうも妙だよ。よくこう調子好くできるものだと思ってね」と云っていた。
 台所から清《きよ》が出て来て、食い散らした皿小鉢《さらこばち》を食卓ごと引いて行った後で、御米も茶を入れ替えるために、次の間へ立ったから、兄弟は差向いになった。
「ああ奇麗《きれい》になった。どうも食った後は汚ないものでね」と宗助は全く食卓に未練のない顔をした。勝手の方で清がしきりに笑っている。
「何がそんなにおかしいの、清」と御米が障子越《しょうじごし》に話しかける声が聞えた。清はへえと云ってなお笑い出した。兄弟は何にも云わず、半《なか》ば下女の笑い声に耳を傾けていた。
 しばらくして、御米が菓子皿と茶盆を両手に持って、また出て来た。藤蔓《ふじづる》の着いた大きな急須《きゅうす》から、胃にも頭にも応《こた》えない番茶を、湯呑《ゆのみ》ほどな大きな茶碗《ちゃわん》に注《つ》いで、両人《ふたり》の前へ置いた。
「何だって、あんなに笑うんだい」と夫が聞いた。けれども御米の顔は見ずにかえって菓子皿の中を覗《のぞ》いていた。
「あなたがあんな玩具《おもちゃ》を買って来て、面白そうに指の先へ乗せていらっしゃるからよ。子供もない癖に」
 宗助は意にも留めないように、軽く「そうか」と云ったが、後《あと》から緩《ゆっ》くり、
「これでも元は子供があったんだがね」と、さも自分で自分の言葉を味わっている風につけ足して、生温《なまぬる》い眼を挙げて細君を見た。御米はぴたりと黙ってしまった。
「あなた御菓子食べなくって」と、しばらくしてから小六の方へ向いて話し掛けたが、
「ええ食べます」と云う小六の返事を聞き流して、ついと茶の間へ立って行った。兄弟はまた差向いになった。
 電車の終点から歩くと二十分近くもかかる山の手の奥だけあって、まだ宵《よい》の口《くち》だけれども、四隣《あたり》は存外静かである。時々表を通る薄歯の下駄の響が冴《さ》えて、夜寒《よさむ》がしだいに増して来る。宗助は懐手《ふところで》をして、
「昼間は暖《あっ》たかいが、夜になると急に寒くなるね。寄宿じゃもう蒸汽《スチーム》を通しているかい」と聞いた。
「いえ、まだです。学校じゃよっぽど寒くならなくっちゃ、蒸汽なんか焚《た》きゃしません」
「そうかい。それじゃ寒いだろう」
「ええ。しかし寒いくらいどうでも構わないつもりですが」と云ったまま、小六はすこし云い淀《よど》んでいたが、しまいにとうとう思い切って、
「兄さん、佐伯《さえき》の方はいったいどうなるんでしょう。先刻《さっき》姉さんから聞いたら、今日手紙を出して下すったそうですが」
「ああ出した。二三日中に何とか云って来るだろう。その上でまたおれが行くともどうともしようよ」
 小六は兄の平気な態度を、心の中《うち》では飽足らず眺《なが》めた。しかし宗助の様子にどこと云って、他《ひと》を激させるような鋭《する》どいところも、自《みずか》らを庇護《かば》うような卑《いや》しい点もないので、喰《く》ってかかる勇気はさらに出なかった。ただ
「じゃ今日《きょう》まであのままにしてあったんですか」と単に事実を確めた。
「うん、実は済まないがあのままだ。手紙も今日やっとの事で書いたくらいだ。どうも仕方がないよ。近頃神経衰弱でね」と真面目《まじめ》に云う。小六は苦笑した。
「もし駄目なら、僕は学校をやめて、いっそ今のうち、満洲か朝鮮へでも行こうかと思ってるんです」
「満洲か朝鮮? ひどくまた思い切ったもんだね。だって、御前|先刻《さっき》満洲は物騒で厭《いや》だって云ったじゃないか」
 用談はこんなところに往ったり来たりして、ついに要領を得なかった。しまいに宗助が、
「まあ、好いや、そう心配しないでも、どうかなるよ。何しろ返事の来しだい、おれがすぐ知らせてやる。その上でまた相談するとしよう」と云ったので、談話《はなし》に区切がついた。
 小六が帰りがけに茶の間を覗《のぞ》いたら、御米は何にもしずに、長火鉢《ながひばち》に倚《よ》りかかっていた。
「姉さん、さようなら」と声を掛けたら、「おや御帰り」と云いながらようやく立って来た。

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