2008年11月18日火曜日

 裏の坂井と宗助《そうすけ》とは文庫が縁になって思わぬ関係がついた。それまでは月に一度こちらから清《きよ》に家賃を持たしてやると、向《むこう》からその受取を寄こすだけの交渉に過ぎなかったのだから、崖《がけ》の上に西洋人が住んでいると同様で、隣人としての親みは、まるで存在していなかったのである。
 宗助が文庫を届けた日の午後に、坂井の云った通り、刑事が宗助の家の裏手から崖下を検《しら》べに来たが、その時坂井もいっしょだったので、御米《およね》は始めて噂《うわさ》に聞いた家主の顔を見た。髭《ひげ》のないと思ったのに、髭を生やしているのと、自分なぞに対しても、存外|丁寧《ていねい》な言葉を使うのが、御米には少し案外であった。
「あなた、坂井さんはやっぱり髭を生やしていてよ」と宗助が帰ったとき、御米はわざわざ注意した。
 それから二日ばかりして、坂井の名刺を添えた立派な菓子折を持って、下女が礼に来たが、せんだってはいろいろ御世話になりまして、ありがとう存じます、いずれ主人が自身に伺うはずでございますがと云いおいて、帰って行った。
 その晩宗助は到来の菓子折の葢《ふた》を開けて、唐饅頭《とうまんじゅう》を頬張《ほおば》りながら、
「こんなものをくれるところをもって見ると、それほど吝《けち》でもないようだね。他《ひと》の家《うち》の子をブランコへ乗せてやらないって云うのは嘘だろう」と云った。御米も、
「きっと嘘よ」と坂井を弁護した。
 夫婦と坂井とは泥棒の這入《はい》らない前より、これだけ親しみの度が増したようなものの、それ以上に接近しようと云う念は、宗助の頭にも、御米の胸にも宿らなかった。利害の打算から云えば無論の事、単に隣人の交際とか情誼《じょうぎ》とか云う点から見ても、夫婦はこれよりも前進する勇気を有《も》たなかったのである。もし自然がこのままに無為《むい》の月日を駆《か》ったなら、久しからぬうちに、坂井は昔の坂井になり、宗助は元の宗助になって、崖の上と崖の下に互の家が懸《か》け隔《へだた》るごとく、互の心も離れ離れになったに違なかった。
 ところがそれからまた二日置いて、三日目の暮れ方に、獺《かわうそ》の襟《えり》の着いた暖かそうな外套《マント》を着て、突然坂井が宗助の所へやって来た。夜間客に襲《おそ》われつけない夫婦は、軽微の狼狽《ろうばい》を感じたくらい驚ろかされたが、座敷へ上げて話して見ると、坂井は丁寧に先日の礼を述べた後《のち》、
「御蔭で取られた品物がまた戻りましたよ」と云いながら、白縮緬《しろちりめん》の兵児帯《へこおび》に巻き付けた金鎖を外《はず》して、両葢《りょうぶた》の金時計を出して見せた。
 規則だから警察へ届ける事は届けたが、実はだいぶ古い時計なので、取られてもそれほど惜しくもないぐらいに諦《あき》らめていたら、昨日《きのう》になって、突然差出人の不明な小包が着いて、その中にちゃんと自分の失《な》くしたのが包《くる》んであったんだと云う。
「泥棒も持ち扱かったんでしょう。それとも余り金にならないんで、やむを得ず返してくれる気になったんですかね。何しろ珍らしい事で」と坂井は笑っていた。それから、
「何私から云うと、実はあの文庫の方がむしろ大切な品でしてね。祖母《ばば》が昔し御殿へ勤めていた時分、戴《いただ》いたんだとか云って、まあ記念《かたみ》のようなものですから」と云うような事も説明して聞かした。
 その晩坂井はそんな話を約二時間もして帰って行ったが、相手になった宗助も、茶の間で聞いていた御米も、大変談話の材料に富んだ人だと思わぬ訳に行かなかった。後《あと》で、
「世間の広い方《かた》ね」と御米が評した。
「閑《ひま》だからさ」と宗助が解釈した。
 次の日宗助が役所の帰りがけに、電車を降りて横町の道具屋の前まで来ると、例の獺《かわうそ》の襟《えり》を着けた坂井の外套《マント》がちょっと眼に着いた。横顔を往来の方へ向けて、主人を相手に何か云っている。主人は大きな眼鏡を掛けたまま、下から坂井の顔を見上げている。宗助は挨拶《あいさつ》をすべき折でもないと思ったから、そのまま行き過ぎようとして、店の正面まで来ると、坂井の眼が往来へ向いた。
「やあ昨夜は。今御帰りですか」と気軽に声をかけられたので、宗助も愛想《あいそ》なく通り過ぎる訳にも行かなくなって、ちょっと歩調を緩《ゆる》めながら、帽子を取った。すると坂井は、用はもう済んだと云う風をして、店から出て来た。
「何か御求めですか」と宗助が聞くと、
「いえ、何」と答えたまま、宗助と並んで家《うち》の方へ歩き出した。六七間来たとき、
「あの爺《じじ》い、なかなか猾《ずる》い奴ですよ。崋山《かざん》の偽物《にせもの》を持って来て押付《おっつけ》ようとしやがるから、今叱りつけてやったんです」と云い出した。宗助は始めて、この坂井も余裕《よゆう》ある人に共通な好事《こうず》を道楽にしているのだと心づいた。そうしてこの間売り払った抱一《ほういつ》の屏風《びょうぶ》も、最初からこう云う人に見せたら、好かったろうにと、腹の中で考えた。
「あれは書画には明るい男なんですか」
「なに書画どころか、まるで何も分らない奴です。あの店の様子を見ても分るじゃありませんか。骨董《こっとう》らしいものは一つも並んでいやしない。もとが紙屑屋《かみくずや》から出世してあれだけになったんですからね」
 坂井は道具屋の素性《すじょう》をよく知っていた。出入《でいり》の八百屋の阿爺《おやじ》の話によると、坂井の家は旧幕の頃何とかの守《かみ》と名乗ったもので、この界隈《かいわい》では一番古い門閥家《もんばつか》なのだそうである。瓦解《がかい》の際、駿府《すんぷ》へ引き上げなかったんだとか、あるいは引き上げてまた出て来たんだとか云う事も耳にしたようであるが、それは判然《はっきり》宗助の頭に残っていなかった。
「小さい内から悪戯《いたずら》ものでね。あいつが餓鬼大将《がきだいしょう》になってよく喧嘩《けんか》をしに行った事がありますよ」と坂井は御互の子供の時の事まで一口|洩《も》らした。それがまたどうして崋山の贋物《にせもの》を売り込もうと巧《たく》んだのかと聞くと、坂井は笑って、こう説明した。――
「なに親父《おやじ》の代から贔屓《ひいき》にしてやってるものですから、時々|何《なん》だ蚊《か》だって持って来るんです。ところが眼も利《き》かない癖に、ただ慾ばりたがってね、まことに取扱い悪《にく》い代物《しろもの》です。それについこの間抱一の屏風を買って貰って、味を占めたんでね」
 宗助は驚ろいた。けれども話の途中を遮《さえ》ぎる訳に行かなかったので、黙っていた。坂井は道具屋がそれ以来乗気になって、自身に分りもしない書画類をしきりに持ち込んで来る事やら、大坂出来の高麗焼《こうらいやき》を本物だと思って、大事に飾っておいた事やら話した末、
「まあ台所《だいどこ》で使う食卓《ちゃぶだい》か、たかだか新《あら》の鉄瓶《てつびん》ぐらいしか、あんな所じゃ買えたもんじゃありません」と云った。
 そのうち二人は坂の上へ出た。坂井はそこを右へ曲る、宗助はそこを下へ下りなければならなかった。宗助はもう少しいっしょに歩いて、屏風《びょうぶ》の事を聞きたかったが、わざわざ回《まわ》り路《みち》をするのも変だと心づいて、それなり分れた。分れる時、
「近い中《うち》御邪魔に出てもようございますか」と聞くと、坂井は、
「どうぞ」と快よく答えた。
 その日は風もなくひとしきり日も照ったが、家《うち》にいると底冷《そこびえ》のする寒さに襲《おそ》われるとか云って、御米はわざわざ置炬燵《おきごたつ》に宗助の着物を掛けて、それを座敷の真中に据《す》えて、夫の帰りを待ち受けていた。
 この冬になって、昼のうち炬燵《こたつ》を拵《こし》らえたのは、その日が始めてであった。夜は疾《と》うから用いていたが、いつも六畳に置くだけであった。
「座敷の真中にそんなものを据えて、今日はどうしたんだい」
「でも、御客も何もないからいいでしょう。だって六畳の方は小六《ころく》さんがいて、塞《ふさ》がっているんですもの」
 宗助は始めて自分の家に小六のいる事に気がついた。襯衣《シャツ》の上から暖かい紡績織《ぼうせきおり》を掛けて貰って、帯をぐるぐる巻きつけたが、
「ここは寒帯だから炬燵でも置かなくっちゃ凌《しの》げない」と云った。小六の部屋になった六畳は、畳こそ奇麗《きれい》でないが、南と東が開《あ》いていて、家中《うちじゅう》で一番暖かい部屋なのである。
 宗助は御米の汲《く》んで来た熱い茶を湯呑《ゆのみ》から二口ほど飲んで、
「小六はいるのかい」と聞いた。小六は固《もと》よりいたはずである。けれども六畳はひっそりして人のいるようにも思われなかった。御米が呼びに立とうとするのを、用はないからいいと留めたまま、宗助は炬燵|蒲団《ぶとん》の中へ潜《もぐ》り込んで、すぐ横になった。一方口《いっぽうぐち》に崖を控えている座敷には、もう暮方の色が萌《きざ》していた。宗助は手枕をして、何を考えるともなく、ただこの暗く狭い景色《けしき》を眺《なが》めていた。すると御米と清が台所で働く音が、自分に関係のない隣の人の活動のごとくに聞えた。そのうち、障子だけがただ薄白く宗助の眼に映るように、部屋の中が暮れて来た。彼はそれでもじっとして動かずにいた。声を出して洋灯《ランプ》の催促もしなかった。
 彼が暗い所から出て、晩食《ばんめし》の膳《ぜん》に着いた時は、小六も六畳から出て来て、兄の向うに坐《すわ》った。御米は忙しいので、つい忘れたと云って、座敷の戸を締《し》めに立った。宗助は弟に夕方になったら、ちと洋灯《ランプ》を点《つ》けるとか、戸を閉《た》てるとかして、忙《せわ》しい姉の手伝でもしたら好かろうと注意したかったが、昨今引き移ったばかりのものに、気まずい事を云うのも悪かろうと思ってやめた。
 御米が座敷から帰って来るのを待って、兄弟は始めて茶碗に手を着けた。その時宗助はようやく今日役所の帰りがけに、道具屋の前で坂井に逢った事と、坂井があの大きな眼鏡《めがね》を掛けている道具屋から、抱一《ほういつ》の屏風《びょうぶ》を買ったと云う話をした。御米は、
「まあ」と云ったなり、しばらく宗助の顔を見ていた。
「じゃきっとあれよ。きっとあれに違ないわね」
 小六は始めのうち何にも口を出さなかったが、だんだん兄夫婦の話を聞いているうちに、ほぼ関係が明暸《めいりょう》になったので、
「全体いくらで売ったのです」と聞いた。御米は返事をする前にちょっと夫の顔を見た。
 食事が終ると、小六はじきに六畳へ這入《はい》った。宗助はまた炬燵《こたつ》へ帰った。しばらくして御米も足を温《ぬく》めに来た。そうして次の土曜か日曜には坂井へ行って、一つ屏風を見て来たらいいだろうと云うような事を話し合った。
 次の日曜になると、宗助は例の通り一週に一返《いっぺん》の楽寝《らくね》を貪ぼったため、午前《ひるまえ》半日をとうとう空《くう》に潰《つぶ》してしまった。御米はまた頭が重いとか云って、火鉢《ひばち》の縁《ふち》に倚《よ》りかかって、何をするのも懶《ものう》そうに見えた。こんな時に六畳が空《あ》いていれば、朝からでも引込む場所があるのにと思うと、宗助は小六に六畳をあてがった事が、間接に御米の避難場を取り上げたと同じ結果に陥《おちい》るので、ことに済まないような気がした。
 心持が悪ければ、座敷へ床を敷いて寝たら好かろうと注意しても、御米は遠慮して容易に応じなかった。それではまた炬燵でも拵《こしら》えたらどうだ、自分も当るからと云って、とうとう櫓《やぐら》と掛蒲団《かけぶとん》を清《きよ》に云いつけて、座敷へ運ばした。
 小六は宗助が起きる少し前に、どこかへ出て行って、今朝《けさ》は顔さえ見せなかった。宗助は御米に向って別段その行先を聞き糺《ただ》しもしなかった。この頃では小六に関係した事を云い出して、御米にその返事をさせるのが、気の毒になって来た。御米の方から、進んで弟の讒訴《ざんそ》でもするようだと、叱るにしろ、慰さめるにしろ、かえって始末が好いと考える時もあった。
 午《ひる》になっても御米は炬燵から出なかった。宗助はいっそ静かに寝かしておく方が身体《からだ》のためによかろうと思ったので、そっと台所へ出て、清にちょっと上の坂井まで行ってくるからと告げて、不断着の上へ、袂《たもと》の出る短いインヴァネスを纏《まと》って表へ出た。
 今まで陰気な室《へや》にいた所為《せい》か、通《とおり》へ来ると急にからりと気が晴れた。肌の筋肉が寒い風に抵抗して、一時に緊縮するような冬の心持の鋭どく出るうちに、ある快感を覚えたので、宗助は御米もああ家《うち》にばかり置いては善《よ》くない、気候が好くなったら、ちと戸外の空気を呼吸させるようにしてやらなくては毒だと思いながら歩いた。
 坂井の家の門を入ったら、玄関と勝手口の仕切になっている生垣《いけがき》の目に、冬に似合わないぱっとした赤いものが見えた。傍《そば》へ寄ってわざわざ検《しら》べると、それは人形に掛ける小さい夜具であった。細い竹を袖《そで》に通して、落ちないように、扇骨木《かなめ》の枝に寄せ掛けた手際《てぎわ》が、いかにも女の子の所作《しょさ》らしく殊勝《しゅしょう》に思われた。こう云う悪戯《いたずら》をする年頃の娘は固《もと》よりの事、子供と云う子供を育て上げた経験のない宗助は、この小さい赤い夜具の尋常に日に干してある有様をしばらく立って眺《なが》めていた。そうして二十年も昔に父母が、死んだ妹《いもと》のために飾った、赤い雛段《ひなだん》と五人囃《ごにんばやし》と、模様の美くしい干菓子と、それから甘いようで辛《から》い白酒を思い出した。
 坂井の主人は在宅ではあったけれども、食事中だと云うので、しばらく待たせられた。宗助は座に着くや否や、隣の室《へや》で小さい夜具を干した人達の騒ぐ声を耳にした。下女が茶を運ぶために襖《ふすま》を開けると、襖の影から大きな眼が四つほどすでに宗助を覗《のぞ》いていた。火鉢を持って出ると、その後《あと》からまた違った顔が見えた。始めてのせいか、襖の開閉《あけたて》のたびに出る顔がことごとく違っていて、子供の数が何人あるか分らないように思われた。ようやく下女が退《さ》がりきりに退がると、今度は誰だか唐紙《からかみ》を一寸ほど細目に開けて、黒い光る眼だけをその間から出した。宗助も面白くなって、黙って手招ぎをして見た。すると唐紙をぴたりと閉《た》てて、向う側で三四人が声を合して笑い出した。
 やがて一人の女の子が、
「よう、御姉様またいつものように叔母さんごっこしましょうよ」と云い出した。すると姉らしいのが、
「ええ、今日は西洋の叔母さんごっこよ。東作さんは御父さまだからパパで、雪子さんは御母さまだからママって云うのよ。よくって」と説明した。その時また別の声で、
「おかしいわね。ママだって」と云って嬉《うれ》しそうに笑ったものがあった。
「私《わたし》それでもいつも御祖母《おばば》さまなのよ。御祖母さまの西洋の名がなくっちゃいけないわねえ。御祖母さまは何て云うの」と聞いたものもあった。
「御祖母さまはやっぱりババでいいでしょう」と姉がまた説明した。
 それから当分の間は、御免下さいましだの、どちらからいらっしゃいましたのと盛《さかん》に挨拶《あいさつ》の言葉が交換されていた。その間にはちりんちりんと云う電話の仮色《こわいろ》も交った。すべてが宗助には陽気で珍らしく聞えた。
 そこへ奥の方から足音がして、主人がこっちへ出て来たらしかったが、次の間へ入るや否や、
「さあ、御前達はここで騒ぐんじゃない。あっちへ行っておいで。御客さまだから」と制した。その時、誰だかすぐに、
「厭《いや》だよ。御父《おと》っちゃんべい。大きい御馬買ってくれなくっちゃ、あっちへ行かないよ」と答えた。声は小さい男の子の声であった。年が行かないためか、舌がよく回らないので、抗弁のしようがいかにも億劫《おっくう》で手間がかかった。宗助はそこを特に面白く思った。
 主人が席に着いて、長い間待たした失礼を詫《わ》びている間に、子供は遠くへ行ってしまった。
「大変|御賑《おにぎ》やかで結構です」と宗助が今自分の感じた通を述べると、主人はそれを愛嬌《あいきょう》と受取ったものと見えて、
「いや御覧のごとく乱雑な有様で」と言訳らしい返事をしたが、それを緒《いとくち》に、子供の世話の焼けて、夥《おびた》だしく手のかかる事などをいろいろ宗助に話して聞かした。その中《うち》で綺麗《きれい》な支那製の花籃《はなかご》のなかへ炭団《たどん》を一杯|盛《も》って床の間に飾ったと云う滑稽《こっけい》と、主人の編上の靴のなかへ水を汲み込んで、金魚を放したと云う悪戯《いたずら》が、宗助には大変耳新しかった。しかし、女の子が多いので服装に物が要《い》るとか、二週間も旅行して帰ってくると、急にみんなの背が一寸《いっすん》ずつも伸びているので、何だか後《うしろ》から追いつかれるような心持がするとか、もう少しすると、嫁入の支度で忙殺《ぼうさつ》されるのみならず、きっと貧殺《ひんさつ》されるだろうとか云う話になると、子供のない宗助の耳にはそれほどの同情も起し得なかった。かえって主人が口で子供を煩冗《うるさ》がる割に、少しもそれを苦にする様子の、顔にも態度にも見えないのを羨《うらや》ましく思った。
 好い加減な頃を見計《みはから》って宗助は、せんだって話のあった屏風《びょうぶ》をちょっと見せて貰えまいかと、主人に申し出た。主人はさっそく引き受けて、ぱちぱちと手を鳴らして、召使を呼んだが、蔵《くら》の中にしまってあるのを取り出して来るように命じた。そうして宗助の方を向いて、
「つい二三日前までそこへ立てておいたのですが、例の子供が面白半分にわざと屏風の影へ集まって、いろいろな悪戯をするものですから、傷でもつけられちゃ大変だと思ってしまい込んでしまいました」と云った。
 宗助は主人のこの言葉を聞いた時、今更|手数《てかず》をかけて、屏風を見せて貰うのが、気の毒にもなり、また面倒にもなった。実を云うと彼の好奇心は、それほど強くなかったのである。なるほどいったん他《ひと》の所有に帰したものは、たとい元が自分のであったにしろ、無かったにしろ、そこを突き留めたところで、実際上には何の効果もない話に違なかった。
 けれども、屏風は宗助の申し出た通り、間もなく奥から縁伝いに運び出されて、彼の眼の前に現れた。そうしてそれが予想通りついこの間まで自分の座敷に立ててあった物であった。この事実を発見した時、宗助の頭には、これと云って大した感動も起らなかった。ただ自分が今坐っている畳の色や、天井の柾目《まさめ》や、床の置物や、襖《ふすま》の模様などの中に、この屏風を立てて見て、それに、召使が二人がかりで、蔵の中から大事そうに取り出して来たと云う所作《しょさ》を付け加えて考えると、自分が持っていた時よりは、たしかに十倍以上|貴《たっ》とい品のように眺《なが》められただけであった。彼は即座に云うべき言葉を見出し得なかったので、いたずらに、見慣れたものの上に、さらに新らしくもない眼を据《す》えていた。
 主人は宗助をもってある程度の鑑賞家と誤解した。立ちながら屏風の縁《ふち》へ手を掛けて、宗助の面《おもて》と屏風の面とを比較していたが、宗助が容易に批評を下さないので、
「これは素性《すじょう》のたしかなものです。出が出ですからね」と云った。宗助は、ただ
「なるほど」と云った。
 主人はやがて宗助の後へ回って来て、指でそこここを指《さ》しながら、品評やら説明やらした。その中《うち》には、さすが御大名だけあって、好い絵の具を惜気《おしげ》もなく使うのがこの画家の特色だから、色がいかにもみごとであると云うような、宗助には耳新らしいけれども、普通一般に知れ渡った事もだいぶ交っていた。
 宗助は好い加減な頃を見計らって、丁寧《ていねい》に礼を述べて元の席に復した。主人も蒲団《ふとん》の上に直った。そうして、今度は野路《のじ》や空云々という題句やら書体やらについて語り出した。宗助から見ると、主人は書にも俳句にも多くの興味を有《も》っていた。いつの間にこれほどの知識を頭の中へ貯《たくわ》え得らるるかと思うくらい、すべてに心得のある男らしく思われた。宗助は己《おの》れを恥じて、なるべく物数《ものかず》を云わないようにして、ただ向うの話だけに耳を借す事を力《つと》めた。
 主人は客がこの方面の興味に乏しい様子を見て、再び話を画《え》の方へ戻した。碌《ろく》なものはないけれども、望ならば所蔵の画帖《がじょう》や幅物を見せてもいいと親切に申し出した。宗助はせっかくの好意を辞退しない訳に行かなかった。その代りに、失礼ですがと前置をして、主人がこの屏風を手に入れるについて、どれほどの金額を払ったかを尋ねた。
「まあ掘出し物ですね。八十円で買いました」と主人はすぐ答えた。
 宗助は主人の前に坐って、この屏風に関するいっさいの事を自白しようか、しまいかと思案したが、ふと打ち明けるのも一興だろうと心づいて、とうとう実はこれこれだと、今までの顛末《てんまつ》を詳しく話し出した。主人は時々へえ、へえと驚ろいたような言葉を挟《はさ》んで聞いていたが、しまいに、
「じゃあなたは別に書画が好きで、見にいらしった訳でもないんですね」と自分の誤解を、さも面白い経験でもしたように笑い出した。同時に、そう云う訳なら、自分が直《じか》に宗助から相当の値で譲って貰えばよかったに、惜しい事をしたと云った。最後に横町の道具屋をひどく罵《のの》しって、怪《け》しからん奴《やつ》だと云った。
 宗助と坂井とはこれからだいぶ親しくなった。

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