2008年11月18日火曜日

「小六《ころく》さん、茶の間から始めて。それとも座敷の方を先にして」と御米《およね》が聞いた。
 小六は四五日前とうとう兄の所へ引き移った結果として、今日の障子《しょうじ》の張替《はりかえ》を手伝わなければならない事となった。彼は昔《むか》し叔父の家にいた時、安之助《やすのすけ》といっしょになって、自分の部屋の唐紙《からかみ》を張り替えた経験がある。その時は糊《のり》を盆に溶《と》いたり、箆《へら》を使って見たり、だいぶ本式にやり出したが、首尾好く乾かして、いざ元の所へ建てるという段になると、二枚とも反《そ》っ繰《く》り返って敷居の溝《みぞ》へ嵌《は》まらなかった。それからこれも安之助と共同して失敗した仕事であるが、叔母の云いつけで、障子を張らせられたときには、水道でざぶざぶ枠《わく》を洗ったため、やっぱり乾いた後で、惣体《そうたい》に歪《ゆがみ》ができて非常に困難した。
「姉さん、障子を張るときは、よほど慎重にしないと失策《しくじ》るです。洗っちゃ駄目ですぜ」と云いながら、小六は茶の間の縁側《えんがわ》からびりびり破き始めた。
 縁先は右の方に小六のいる六畳が折れ曲って、左には玄関が突き出している。その向うを塀《へい》が縁と平行に塞《ふさ》いでいるから、まあ四角な囲内《かこいうち》と云っていい。夏になるとコスモスを一面に茂らして、夫婦とも毎朝露の深い景色《けしき》を喜んだ事もあるし、また塀の下へ細い竹を立てて、それへ朝顔を絡《から》ませた事もある。その時は起き抜けに、今朝咲いた花の数を勘定《かんじょう》し合って二人が楽《たのしみ》にした。けれども秋から冬へかけては、花も草もまるで枯れてしまうので、小さな砂漠《さばく》みたように、眺《なが》めるのも気の毒なくらい淋《さび》しくなる。小六はこの霜《しも》ばかり降りた四角な地面を背にして、しきりに障子の紙を剥《は》がしていた。
 時々寒い風が来て、後《うしろ》から小六の坊主頭と襟《えり》の辺《あたり》を襲《おそ》った。そのたびに彼は吹《ふ》き曝《さら》しの縁から六畳の中へ引っ込みたくなった。彼は赤い手を無言のまま働らかしながら、馬尻《バケツ》の中で雑巾《ぞうきん》を絞《しぼ》って障子の桟《さん》を拭き出した。
「寒いでしょう、御気の毒さまね。あいにく御天気が時雨《しぐ》れたもんだから」と御米が愛想《あいそ》を云って、鉄瓶《てつびん》の湯を注《つ》ぎ注《つ》ぎ、昨日《きのう》煮た糊《のり》を溶いた。
 小六は実際こんな用をするのを、内心では大いに軽蔑《けいべつ》していた。ことに昨今自分がやむなく置かれた境遇からして、この際多少自己を侮辱しているかの観を抱《いだ》いて雑巾を手にしていた。昔し叔父の家で、これと同じ事をやらせられた時は、暇潰《ひまつぶ》しの慰みとして、不愉快どころかかえって面白かった記憶さえあるのに、今じゃこのくらいな仕事よりほかにする能力のないものと、強いて周囲から諦《あきら》めさせられたような気がして、縁側の寒いのがなおのこと癪《しゃく》に触った。
 それで嫂《あによめ》には快よい返事さえ碌《ろく》にしなかった。そうして頭の中で、自分の下宿にいた法科大学生が、ちょっと散歩に出るついでに、資生堂へ寄って、三つ入りの石鹸《シャボン》と歯磨を買うのにさえ、五円近くの金を払う華奢《かしゃ》を思い浮べた。するとどうしても自分一人が、こんな窮境に陥《おちい》るべき理由がないように感ぜられた。それから、こんな生活状態に甘んじて一生を送る兄夫婦がいかにも憫然《ふびん》に見えた。彼らは障子を張る美濃紙《みのがみ》を買うのにさえ気兼《きがね》をしやしまいかと思われるほど、小六から見ると、消極的な暮し方をしていた。
「こんな紙じゃ、またすぐ破けますね」と云いながら、小六は巻いた小口を一尺ほど日に透《す》かして、二三度力任せに鳴らした。
「そう? でも宅《うち》じゃ小供がないから、それほどでもなくってよ」と答えた御米は糊を含ました刷毛《はけ》を取ってとんとんとんと桟の上を渡した。
 二人は長く継《つ》いだ紙を双方から引き合って、なるべく垂《た》るみのできないように力《つと》めたが、小六が時々面倒臭そうな顔をすると、御米はつい遠慮が出て、好加減《いいかげん》に髪剃《かみそり》で小口を切り落してしまう事もあった。したがってでき上ったものには、所々のぶくぶくがだいぶ目についた。御米は情《なさけ》なさそうに、戸袋に立て懸《か》けた張り立ての障子を眺《なが》めた。そうして心の中《うち》で、相手が小六でなくって、夫であったならと思った。
「皺《しわ》が少しできたのね」
「どうせ僕の御手際《おてぎわ》じゃ旨《うま》く行かない」
「なに兄さんだって、そう御上手じゃなくってよ。それに兄さんはあなたよりよっぽど無精《ぶしょう》ね」
 小六は何にも答えなかった。台所から清《きよ》が持って来た含嗽茶碗《うがいぢゃわん》を受け取って、戸袋の前へ立って、紙が一面に濡《ぬ》れるほど霧を吹いた。二枚目を張ったときは、先に霧を吹いた分がほぼ乾いて皺《しわ》がおおかた平らになっていた。三枚目を張ったとき、小六は腰が痛くなったと云い出した。実を云うと御米の方は今朝《けさ》から頭が痛かったのである。
「もう一枚張って、茶の間だけ済ましてから休みましょう」と云った。
 茶の間を済ましているうちに午《ひる》になったので、二人は食事を始めた。小六が引き移ってからこの四五日《しごんち》、御米は宗助《そうすけ》のいない午飯《ひるはん》を、いつも小六と差向《さしむかい》で食べる事になった。宗助といっしょになって以来、御米の毎日|膳《ぜん》を共にしたものは、夫よりほかになかった。夫の留守の時は、ただ独《ひと》り箸《はし》を執《と》るのが多年の習慣《ならわし》であった。だから突然この小舅《こじゅうと》と自分の間に御櫃《おはち》を置いて、互に顔を見合せながら、口を動かすのが、御米に取っては一種|異《い》な経験であった。それも下女が台所で働らいているときは、まだしもだが、清の影も音もしないとなると、なおのこと変に窮屈な感じが起った。無論小六よりも御米の方が年上であるし、また従来の関係から云っても、両性を絡《から》みつける艶《つや》っぽい空気は、箝束的《けんそくてき》な初期においてすら、二人の間に起り得べきはずのものではなかった。御米は小六と差向《さしむかい》に膳に着くときのこの気ぶっせいな心持が、いつになったら消えるだろうと、心の中《うち》で私《ひそか》に疑ぐった。小六が引き移るまでは、こんな結果が出ようとは、まるで気がつかなかったのだからなおさら当惑した。仕方がないからなるべく食事中に話をして、せめて手持無沙汰《てもちぶさた》な隙間《すきま》だけでも補おうと力《つと》めた。不幸にして今の小六は、この嫂《あによめ》の態度に対してほどの好い調子を出すだけの余裕と分別《ふんべつ》を頭の中に発見し得なかったのである。
「小六さん、下宿は御馳走《ごちそう》があって」
 こんな質問に逢うと、小六は下宿から遊びに来た時分のように、淡泊《たんぱく》な遠慮のない答をする訳に行かなくなった。やむを得ず、
「なにそうでもありません」ぐらいにしておくと、その語気がからりと澄んでいないので、御米の方では、自分の待遇が悪いせいかと解釈する事もあった。それがまた無言の間《あいだ》に、小六の頭に映る事もあった。
 ことに今日は頭の具合が好くないので、膳に向っても、御米はいつものように力《つと》めるのが退儀《たいぎ》であった。力《つと》めて失敗するのはなお厭《いや》であった。それで二人とも障子《しょうじ》を張るときよりも言葉少なに食事を済ました。
 午後は手が慣《な》れたせいか、朝に比べると仕事が少し果取《はかど》った。しかし二人の気分は飯前よりもかえって縁遠くなった。ことに寒い天気が二人の頭に応《こた》えた。起きた時は、日を載《の》せた空がしだいに遠退《とおの》いて行くかと思われるほどに、好く晴れていたが、それが真蒼《まっさお》に色づく頃から急に雲が出て、暗い中で粉雪《こゆき》でも醸《かも》しているように、日の目を密封した。二人は交《かわ》る交《がわ》る火鉢に手を翳《かざ》した。
「兄さんは来年になると月給が上がるんでしょう」
 ふと小六がこんな問を御米にかけた。御米はその時畳の上の紙片《かみぎれ》を取って、糊に汚《よご》れた手を拭いていたが、全く思も寄らないという顔をした。
「どうして」
「でも新聞で見ると、来年から一般に官吏の増俸があると云う話じゃありませんか」
 御米はそんな消息を全く知らなかった。小六から詳しい説明を聞いて、始めてなるほどと首肯《うなず》いた。
「全くね。これじゃ誰だって、やって行けないわ。御肴《おさかな》の切身なんか、私《わたし》が東京へ来てからでも、もう倍になってるんですもの」と云った。肴の切身の値段になると小六の方が全く無識であった。御米に注意されて始めてそれほどむやみに高くなるものかと思った。
 小六にちょっとした好奇心の出たため、二人の会話は存外素直に流れて行った。御米は裏の家主の十八九時代に物価の大変安かった話を、この間宗助から聞いた通り繰り返した。その時分は蕎麦《そば》を食うにしても、盛《もり》かけが八厘、種《たね》ものが二銭五厘であった。牛肉は普通《なみ》が一人前《いちにんまえ》四銭で、ロースは六銭であった。寄席《よせ》は三銭か四銭であった。学生は月に七円ぐらい国から貰《もら》えば中《ちゅう》の部であった。十円も取るとすでに贅沢《ぜいたく》と思われた。
「小六さんも、その時分だと訳なく大学が卒業できたのにね」と御米が云った。
「兄さんもその時分だと大変暮しやすい訳ですね」と小六が答えた。
 座敷の張易《はりかえ》が済んだときにはもう三時過になった。そうこうしているうちには、宗助も帰って来るし、晩の支度《したく》も始めなくってはならないので、二人はこれを一段落として、糊や髪剃《かみそり》を片づけた。小六は大きな伸《のび》を一つして、握《にぎ》り拳《こぶし》で自分の頭をこんこんと叩《たた》いた。
「どうも御苦労さま。疲れたでしょう」と御米は小六を労《いた》わった。小六はそれよりも口淋《くちさむ》しい思がした。この間文庫を届けてやった礼に、坂井からくれたと云う菓子を、戸棚《とだな》から出して貰って食べた。御米は御茶を入れた。
「坂井と云う人は大学出なんですか」
「ええ、やっぱりそうなんですって」
 小六は茶を飲んで煙草《たばこ》を吹いた。やがて、
「兄さんは増俸の事をまだあなたに話さないんですか」と聞いた。
「いいえ、ちっとも」と御米が答えた。
「兄さんみたようになれたら好いだろうな。不平も何もなくって」
 御米は特別の挨拶《あいさつ》もしなかった。小六はそのまま起《た》って六畳へ這入《はい》ったが、やがて火が消えたと云って、火鉢を抱《かか》えてまた出て来た。彼は兄の家《いえ》に厄介《やっかい》になりながら、もう少し立てば都合がつくだろうと慰めた安之助の言葉を信じて、学校は表向《おもてむき》休学の体《てい》にして一時の始末をつけたのである。

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